<書評>おとなの進路教室。(山田ズーニー)
仕事を辞めた今、「これからどうやって稼いでいくか」はとても重要なテーマです。
そんなとき偶然手に取った、山田ズーニーさんの『おとなの進路教室。』。
この本が胸の奥深くにグサグサ刺さったので、感想を残しておきます。
五千円を稼ぐには
もしも、「いまから外に出て、五千円稼いできてください」と言われたら、あなたは、どうやって稼いできますか?
この質問に、僕ならどう答えるでしょうか。会社員だったころは、会社に行けば当然のように給料が入ってくるものと思っていました。
だけど、仕事を辞めた今は、ここに真正面から向き合わなければなりません。
プログラミングの授業?パソコン教室の先生?翻訳?それとも・・・?
お金を貰うということは、突き詰めれば、目の前の人間を、お金が払いたいと思うまで喜ばすということです。
たった五千円。でも、会社の力に頼らず、自分の力だけでそれを稼ぐことは簡単ではない。
自分なら、どうやって稼ぐか。どうやって人を喜ばせるか。
関心を、もっと外へ
そのとき、「自分の関心が内向きになってしまっているということ」に、はっきり気づいた。
講義の不備で、自分の欠点にとらわれるあまり、目の前にいる学生の気持ちを見ていない。
私の意識は、自分へ自分へと向かっていた。
これは僕にとっても、思い当たるところがある。仕事で失敗すると、自分の足りないところばかりが目につき、どうやって欠点を改善するか、ということばかりを考えてしまっていた。
そのとき、仕事の依頼主であるお客様やプロジェクトメンバーの気持ちなど、考える余裕はなかった。
自分は誰のために仕事をしているのか。そのことを忘れてはならない。
関心を、もっと外へ、外へ。
マイテーマと実現したい世界観
「なりたい職業」×「マイテーマ」×「実現したい世界観」
自分を誰かにアピールする場合に、伝えるべき内容を筆者はこの3つにまとめている。 もちろん、「そもそも自分は何をしたいのか?」と自分探しをする場合にも、これらは重要なキーワードとなる。
そのなかでも、「マイテーマ」と「実現したい世界観」が特に大事だと思う。なぜなら、「なりたい職業」は、「マイテーマ」と「実現したい世界観」をカタチにするための手段でしかないからだ。
それなのに、これらが抜け落ちたままで、つい「なりたい職業」だけを考えてしまう。
それでは、本当の自分に合った仕事を見つけることは難しい。
それぞれの立場から情報発信をするということ
自分が立っているところがわかれば、新人でも、情報発信はできるし、伝わるんだということ。一生のうちで、新人のときほど、立ち位置が明確な時はないのではないか、それを知れば、旧人にまねのできない、受け取る人に染み入るような表現ができるのではないかということ。
その分野の素人だからといって恐れることはない。自分の立ち位置をしっかりと理解したうえで、そこに寄って立って発信したものであれば、上滑りすることなく受け取る人に伝わる。自分の立ち位置は忘れないようにしたい。
なぜこの本にこんなに惹かれるのか
最後に、なぜ自分はこの本にこんなに惹かれたのかを考えてみた。
山田ズーニーさんの本は、ズーニーさん自身の心の動き、葛藤が包み隠さず表現されているから、ダイレクトに胸に刺さってくる。
それが読んでいる僕の心と重なり、僕の心も激しく揺さぶられる。
特にそれが、知らないうちに思い出すことを避けていた、「何となくイヤな記憶」を容赦なく掘り起こしてくる。
きっとこれが、僕がこの本を好きな理由だ。
こういう思い出をしっかりと言葉にできるのは、自分のことを理解するために大事なんだと思う。
このブログでも、できるだけ自分の微妙な心の動きを言葉にするように心がけていく。
今さらNISAについて調べてみた
今さらながら、NISAについて調べてみたのでメモ。
NISAを利用すると、毎年120万円までの非課税投資枠が設定され、ここから生まれた値上がり益や配当金(分配金)が非課税となる。
※NISAを利用しない場合、20.315%の税金がかかる。
非課税枠は毎年新たに追加され、最大で5年間有効となる。
つまり、こいうことか。
1年目:120万円
2年目:240万円
3年目:360万円
4年目:480万円
5年目以降:600万円
今のところ、制度継続期間は2023年まで。
※これはきっと延長されるのでしょう
注意点としては、枠内の株や投資信託を売却しても、その枠の再利用はできない、とのこと。
つまり、短期で売買する株よりも、長期投資に向いた制度のようだ。
本来なら20%もかかるはずの税金が、非課税となるというのは大きい。
これは使わなきゃ損だな!!
都会のオアシス 街のラーメン屋さん
ラーメン屋はお一人様の味方
街のラーメン屋さんは、一人旅loverにとっては、心強い味方です。
なにがいいって、一人で食べても全く気まずくないのがいい。
見知らぬ街を一人で旅しているっていうだけで心細いのに、まわりにはカップルたちの笑顔が溢れる、おしゃれなお店しか無かったとしたら。
それなのに、猛烈にお腹が空いているとしたら。
その心細さたるや、まるで砂漠の真ん中で道に迷ったかのようです。
そんな時、ひっそりと佇むラーメン屋さんを見つけた時の安心感といったらありません。
湧き水がきらめくオアシスを見つけたようなものです。
あぁこれで助かった。もう周囲の視線に怯えなくていいんだ・・・
カップルの笑い声に自尊心を引き裂かれなくていいんだ・・・
ラーメンの注文方法
さて、お店に入ったらラーメンを注文しましょう。
自分の胃袋が何を欲しているのか、そっと耳を澄ませて下さい。
いいんですよ、時間をかけて。じっくり選んでください。メニューはのびません。
頼むものが決まったら、大きな声で注文をしましょう。恥ずかしがって、声が小さくなっては行けません。
以前、思いがけずカウンター席で美人に挟まれ、恐縮して声が小さくなったばっかりに、チャーシュー麺を頼んだはずがおつまみチャーシューが出てきてしまったことがありました。
「えっ?この人、チャーシューしか食べられないほど少食なの?」
「おつまみをチョイスしておきながら、一緒にお酒を頼む甲斐性もないの?」
両サイドを固める美人の心の声が聞こえてきそうで、チャーシューをかき込んでお店を飛び出しました。
おつまみチャーシュー 350円。
なにしてるんだか。
ラーメンとコショウ少々
今回はそんな失態を犯すこともなく、無事に注文したラーメンが目の前に届きました。
熱々のスープにふぅふぅ息を吹きかけると、メガネが曇ります。でも、気にしない。だって誰もみていないんだから。
曇りが取れるまで、白く霞む幻想的な視界で店内を見渡すのもおススメです。まるで、おとぎ話の世界に迷い込んだような気分を味わえます。
おや、霞の中から、誰かの姿が浮かんできました。妖精でしょうか?
おっと、ラーメン屋の大将でした。
それにしてもこのラーメン、うまいなぁ、うまい。
半分くらい食べたら、コショウを少しかける。
すると、これまでとは味わいが変わります。
ズルズル吸い込んだ麺の食感を、暖かいスープが包み込む。そこに、コショウの刺激が追いかけてくる。
完璧なコンビネーションです。
コショウをかけすぎると、一気に刺激たっぷりの大人の世界に誘われますので、かけすぎにはご注意を。
今夜は帰りたくないの。
そんな大人の世界を味わいたい時には、敢えてコショウの山盛りをお勧めします。
<書評>もっとことばに出そう!自分の気持ち(森田汐生)
森田汐生さんの『もっとことばに出そう!自分の気持ち』という本を読んでいて、そうだよねーと思うことがあったので書き残しておきます。
人からお願いされた時、断るのが苦手
僕は人からお願いごとをされると、ついつい断りきれずにOKしちゃうことが多いんですよね。
友達に飲み会に誘われた時にも、「なんか嫌だなー」と思いながら、「行けたら行く」なんて中途半端な返事をしてしまいます。
でも約束の日が近づいてくるとやっぱり気乗りがしなくて、結局ドタキャンみたいなことになってしまう。「だったら最初から断ってくれればよかったのに。。」なんて、よけいに相手の期待を裏切ってしまうことになります。この性格は周りにも迷惑をかけるし、自分にとってもマイナスでしかありません。
森田汐生さんの『もっとことばに出そう!自分の気持ち』には、こんな性格が「ウルウル」として解説されています。
ウルウルになってしまうときって 、案外気づかないものです 。それは相手への 「思いやり 」という仮面を被って表れてくるからです 。相手を思いやるあまり 、その場で 「いい人 」を演じてしまうことは誰しもあります 。しかし 、相手側に立ってみると 、必ずしもいいとは限りません 。
(中略)
私がはっきり 「ノ ー 」を言えなかったころ 、私自身は相手の気持ちを傷つけたくないからそうするのだと信じていました 。しかし 、実際は 「ノ ー 」と言って相手に嫌われたり 、人間関係がまずくなったりすることを怖れて 、本当の気持ちにウソをついていたのです 。このことに気づいたときはショックでした 。
そうなんですよね。「期待を裏切っちゃうんじゃないかな」、「嫌われるんじゃないかな」って怖がる気持ちがあるから、頭ではわかっていても、なかなかやめることができないんです。
そんなときの解決方法を『もっとことばに出そう!自分の気持ち』から紹介します。
「はい 」と応えるクセから抜けよう
ひとつ目は、その場で答えを出さず、「迷っている」という気持ちを素直に伝える方法です。
さて 、相手の誘いを断れないウルウルが 、反射的に 「はい 」と言うクセから抜ける方法があります 。それは 、 「イエス 」 「ノ ー 」と言う以外の 「第三の答え方 」 。その場で答えを出さずに 、 「今はよくわからない 」 「迷ってるの 」と言う方法です 。
こうして時間を置いて、自分は本当にこのお願いを受けたいのか、受けて(時間的や体力的な面でも)大丈夫なのかをゆっくり考えれば、より良い判断をすることができます。
また時間を置いて回答する方が、いざ断る場合にも心理的なハードルが低いという利点もあります。
イヤな理由を具体的に話す
二つ目は、何が嫌なのかを的を絞って伝えるという方法です。
イヤな理由を具体的に話す相手の誘いや仕事の依頼に対して 、どうしても気が進まないとき 、何に対してイヤだと感じているのか 、対象をはっきりさせましょう 。これは 、その後の交渉にスム ーズに移る大事なポイントとなります 。
こうすることで、なぜ断られたのかの納得感が得られやすいため、相手が気を悪くする心配も小さくなります。
また、断ることによってお互いに譲歩する必要が生じる場合にも、空中戦にならずに的確な解決策を探ることができます。
相手の頼み方にカチンときたら
三つ目は、相手の頼み方が気にくわない、そんな場合の解決方法です。この場合も、嫌だと感じる点を具体的に伝えることが重要です。
「やるのが当たり前という 、ぞんざいな口調で頼まれるのがイヤなの 。せめて 、よろしくとか 、ありがとうという一言があれば 、私も気持ちよく引き受けられるの 」 「やらないあなたがダメという言い方に傷つくの 。そんな一方的な言い方ではなく 、もっと話し合う姿勢で頼んでほしいのに 」
ここまで言うことができれば、人のお願いを断りにくいなんて悩むことはなくなりそうです。
もっとも、上記のような内容を感情的にならずに伝えるには、高度なアサーティブコミュニケーションの力が求められますが。。
自分にとっても周りの人にとっても気持ちよく断ることができるよう、自分の気持ちはしっかり伝えられるようになりたいですね。
今回の記事で紹介した書籍
一人旅が嫌いという人への反論
僕は一人旅が大好きです。誰にも気を使うことなく、好きな時に好きな場所に行けるのが一人旅の醍醐味ですね。
サラリーマンになった今でも、まとまった休みが取れればふらっと海外旅行に出かけています。
まぁ一般的に忙しいと言われるIT業界に勤めているので、そうそう連休が取れるわけもなく、大抵は近場の温泉で済ませてしまいますが。。
ところがそんな話をすると、 一人旅の楽しさなんてまったくわからないという人に出会うことがあります。
今回は、そんな人たちから聞いた一人旅のデリットに、僕なりの反論をしてみます。
1. 一人ではお店に入りづらい
その気持ちはわからなくはないです。確かに、僕だってお洒落なレストランに一人で入れと言われたら、躊躇います。うっかりカップルばかりのお店に入ってしまった時は、この世から消えてしまいたくなります。
でも、ジャンルを選べば、一人で入りやすいお店もたくさんあります。地元の人で賑わう庶民派の居酒屋なんて、一人で訪れるととっても楽しいです。黙々と料理を味わうのもいいし、店員さんや常連のお客さんと仲良くなるのも一人旅の楽しみ方の一つです。
また、敢えてお店に入らず、街頭のお店を巡る食べ歩きの旅も楽しいものです。これなら、周りの目を気にすることもありません。
2. 犯罪に巻き込まれないかが心配
グループで旅行をするより、一人旅の方が犯罪に巻き込まれやすいのは確かです。いざ犯罪にあってしまった時にも、誰かがそばにいる方が心理的なダメージは少ないだろうと思います。
でもね、世の中には一人でも安全な場所はあります。日本なんてその典型です。
そりゃあ日本だって夜に一人で出歩くのは危険ですよ。でもそれなら、夜はホテルの中にいればいいんです。明るいうちに思いっきり歩き回って、夜はホテルでお酒を飲みながら翌日の予定を立てる。これでも十分に、旅を楽しむことができます。
3. 楽しみは誰かと分かち合いたい
楽しい体験をした時や美味しいものを食べた時、それを誰かと分かち合えないと、旅の楽しみが半減してしまうという人もいます。
でも、楽しみを分かち合うだけなら、必ずしも一緒に旅する必要はないのではないでしょうか。
いまならFacebookやTwitterがあるじゃないですか。SNSを使えば、世界中の人と楽しみを共有することができます。
4. 旅行中、誰とも話さないなんて耐えられない
こればっかりは好みの問題なので、反論のしようがありません(笑)
基本的には、一人でいることが好きな人が一人旅をするわけですからね。一人旅を推す記事を書いておきながらこんなことを言ったら元も子もないですが、一人でいることが耐えられないという人には、一人旅はおすすめできません。
どうぞ、今後もグループでわいわい旅行を楽しんでください。だけど、たまには一人で過ごす時間もいいものですよ、とだけはお伝えしたいと思います。
以上、これまでに実際に受けた一人旅批判(?)に対する、僕なりの反論でした。
自分の気持ちを理解するために取り組んでいること
前回の記事では、
- 自分の気持ちがわからない
- それは自分の気持ちを言葉にしてこなかったからだ
ということを書きました。
今回はこれを克服するために僕が取り組んでいることを書いてみます。
大まかに言って、下記の二つの方向からアプローチをしています。
- 自分の気持ちを言葉にする訓練をする
- なぜ気持ちを言葉にできなくなったのかを、ひたすら深掘りする
ここからは、それぞれについて説明していきますね。
1. 自分の気持ちを言葉にする訓練をする
アサーティブコミュニケーションという言葉があります。「僕なんて、、」と自分を卑下することなく、自分の気持ちを素直に表現する。ただし、一方的に自分の気持ちを押し付けるのではなく、相手を尊重する気持ちも忘れず、その気持ちも併せて伝える。
だからアサーティブなコミュニケーションができれば、相手に嫌な思いをさせることなく、自信を持って自分の気持ちを言葉にすることができます。
でもこれって、いきなり人に向かって実践するのはとても難しいです。だって今まで使ったことのない言葉を口にするのですから、気恥ずかしいじゃないですか。
しかも普段言い慣れてなくて語彙が乏しいから、いいちいち「なんて薄っぺらい言い方しかできないんだ〜」って自分を責めてしまう。
会話の内容なんてそっちのけで、一人で苦しんでしまいます。こんな状態では会話がやりにくくて仕方ありません。
そんなアサーティブ素人の僕には、一人でこっそりと練習できる方法が必要です。
そこで僕が取り組んでいるのが、ツイッターに独り言をつぶやきまくる方法です。
「あの言い方はマズかったな」
「こういう言い方もあったな」
日常生活の中でそんな事を思った時は、すぐにツイッターにつぶやきます。現実の会話ではやり直しはできませんが、ツイッターなら納得のいく言い方ができるまでやり直すことができます。
他にも、あーなんかモヤモヤする!という時は、そのモヤモヤをすべてツイッターにぶちまけます。
綺麗な言葉にならなくても問題ありません。言葉に出来ないなら、「なんだかよくわからない」と素直につぶやきます。それも立派な自分の気持ちなんです。
ただし、これは専用アカンウトを作成して行うことをおすすめします。普段の僕からは想像もできないような言葉もつぶやいているため、知り合いに見られると、ドン引きされる恐れがあります。
2. なぜ気持ちを言葉にできなくなったのかを、ひたすら深掘りする
そもそも、なぜ自分の気持ちを言葉に出来なくなったのか。その原因がわかれば、もっと根本的な解決をはかることができるはずです。
よく、自分の気持ちがわからない人はアダルトチルドレンであると言われます。
親から十分な愛情が与えられず、自分の存在を否定されてきた。そのような幼少期を過ごした人は、知らず知らずのうちに自分の感情を押し殺し、周囲の人間の機嫌ばかりを伺うようになります。
だって、自分で自分を守る力がない子供のうちは、身を守るためには親の愛情を頼りにするしかないんですから。それなのに、親にさえ自分を受け入れてもらえなかった。常に周囲の大人の期待に応えることを強いられてきた。そんな子供が自分の気持ちを言葉にするなんてできるわけがありません。このような幼少期を引きずったままの大人をアダルトチルドレンと呼びます。
僕もアダルトチルドレンの一人です。
子供の頃、自分の気持ちを受け入れてもらえなかった。だから今でも、無意識のうちに気持ちを押し殺し、周囲の反応ばかり気にしてしまいます。
厄介なことに、アダルトチルドレンのきっかけとなった辛い出来事は記憶の奥底にしまわれていて、明確に思い出すことができません。
ただなんとなく、子供の頃を思い出すと胸の奥がざわざわするような、鈍い痛みがあります。
このような辛い経験をはっきりと思い出し、それを自分なりに消化することができれば、アダルトチルドレンは必ず克服できるはずなんです。
僕はこの幼少期の経験を思い出すということに、2年ほど取り組んでいます。
すごくゆっくりですが、少しずつ記憶が具体化されてきているのを感じています。
自分の気持ちがわからない
プラスの感情も、マイナスの感情も、すごく自然に言葉にできる人っていますよね。
その一方で、そのような感情を言葉にするのが苦手って人もいます。
僕も、自分の気持ちを言葉にするのは大の苦手です。
だって、それを聞いた人にどう思われるかが不安なんですもん。
- 聞いた相手は気を悪くしないか。
- 変なやつだと思われないか。
- 趣味が子供っぽいと思われないか。
- 発想が根暗と思われないか。
などと、過剰に遠慮したり、気を使ったりしてしまうんです。それで、微妙な笑みを浮かべながら相手の様子を伺ってしまう。
でも厄介なことに、こういう態度ってすぐに人に伝わります。だから周りの人から見ると、とても不自然に見えるんですよね。
- こいつはなんで遠慮してるんだろう。
- こいつはなんで自信がないんだろう。
- こいつはなんで怯えているんだろう。
そうすると、大抵の人は下記のどちらかの反応をとります。
- こいつとは関わっても面白くないと、離れていく
- 自分の方が優位な立場だと思い、ぞんざいに扱う
どっちにしたって、僕にとっては辛いものです。
こうなると、余計に気持ちを言葉にするのが怖くなります。他の人が言ったら何でもないことでも、僕が言うと浮いてしまう。イジられる。そしてますます言葉にできなくなる。
まあ他人との会話がギクシャクするくらいなら「コミュ障だね(笑)」くらいで済みます。
(コミュ障も十分ヘコむけど)
それよりも恐ろしいことに、長い間感情を言葉にしていないと、いつのまにか自分でも自分の気持ちがわからなくなるんです。
いま自分は嬉しいのか?怒っているのか?悲しいのか?楽しいのか?
それがわからないんです。だけど、なんとなく心はモヤモヤしている。
これに気付いたときは非常にショックでした。
だって、他の人が心から笑っているときに、僕にはその楽しさがわからない。他の人が声を震わせて怒っている時に、僕にはその怒りがわからない。
これって人生の満足度の面で、ものすごく損をしている気がします。
当たり前ですが、僕だって小さい頃はそうではかったはず。嬉しいことがあれば笑い、嫌なことがあれば泣き、そこには何の躊躇いもなかったはずです。
いつから自分の感情を見失ってしまったのか。その理由は何なのか。どうすればもう一度、感情豊かに生きることができるのか。
この答えを見つけるのが当面の人生の目標かな、なんて思っています。
「自分も同じだ」って方はいませんか?
是非、あなたの悩みを聞かせてください。一緒にモヤモヤ悩みましょう。
「もう克服したよ」って方はいませんか?
是非、その方法を聞かせてださい。参考にさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。